Saturday, December 3, 2011

前年4位に終わり、ライバルの福岡ブルックスに先にJリーグに行かれてしまった鳥栖フューチャーズ。
当時黄金期を築いていたヴェルディ川崎出身の阿部良則(ヴェルディ川崎→ブランメル仙台→鳥栖)や、パナマの怪人といわれたFWバルデス(往年のJサポさんはご存じかと思います)といった補強を行います。


大分トリニティ(現大分トリニータ)とデンソーを加えた16チームによる1996年のJFLでは、本田技研や東京ガスといったJ準会員キラーが猛威をふるました。
優勝は本田技研。震災をばねに這い上がった2位のヴィッセル神戸のみがJリーグ昇格。またしても鳥栖は4位でリーグを終えました。
鳥栖フューチャーズは万年4位と言われていましたね…


そして、ここまで大量の補強を繰り返してきたにも関わらずJリーグに昇格できなかったツケがついに廻ってきました。
メインスポンサーのPJMが撤退し、クラブが解散に追い込まれてしまいます。


熱心なサポーターや他のクラブのサポーターは鳥栖フューチャーズの存続を願い、著名活動を行いました。この頃は大学生になっていた自分も著名しました。


それらの活動も実らず、鳥栖フューチャーズは消滅。


…しかし、クラブ存続を求める5万人を超える署名がきっかけとなり、鳥栖フューチャーズの意思を継ぐ「サガン鳥栖」が誕生します。


ただ、ホワイトボードにマジックで書かれた「サガン鳥栖FC」というチーム名をみた時の衝撃は…鳥栖フューチャーズのショッキングピンクのユニフォームを観た時以上のものでした。
http://www.saga-s.co.jp/koremade/timetrip/50/01.html


それでも、「サガン鳥栖」というチーム名も、今では鳥栖のセカンドカラーとして使われているピンクも、慣れてしまえば愛着あるものとなりました。
特に2011年からのユニフォームはセカンドカラーのピンクが大胆にあしらわれていて、その中に鳥栖フューチャーズを思わせるデザインとなっています。
http://www.jsgoal.jp/photo/_prog/detail.php?c=00084597


PJMフューチャーズ誘致し、サガン鳥栖設立に尽力し鳥栖を復活させた坂田道孝氏の命日2000年1月7日から現在ではサガン鳥栖のサポーターナンバーは「17」となっています。


鳥栖フューチャーズの折れた翼を復活させるために「翼をください」が応援歌としても歌われました。
これは後にフランスW杯予選で日本代表の自力通過が無くなった絶望的な状況でも歌われるようにもなりました。(鳥栖との関係があるのかは分かりません)


ギリギリの状態で発足したサガン鳥栖。
鳥栖フューチャーズの残った選手と、Jリーグから派遣された楚輪監督や選手達による必要最小限のメンバー、そして急遽NIKEから支給してもらえたユニフォームでスタート。


特例として、鳥栖フューチャーズの権利を引き継ぎナビスコカップ(当時はJクラブとJ準会員チームが参加できていた)と、引き続きJFLに参加できる事となりました。
サガン鳥栖は鳥栖フューチャーズとは実質的には別クラブなのですが、こういった経緯もあるので、自然と同じ様なクラブとして捉える事ができます。


1997年のナビスコカップ初戦。相手はクラブ存続にも協力してくれた強豪浦和レッズ。
自分も鳥栖スタジアムまで足を運びました。テレビや新聞で観てただけの自分にとってこの日が初の生観戦となりました。
鳥栖スタジアムの素晴らしさ(とはいっても当時は他のスタジアムを知らなかったのですが)は本当に忘れもしません。
ピッチとの近さも重要ですが、実はあの無骨な外観が好きだったりもします。テオ・ヤンセン的なあの外観。

試合の方は一方的なレッズペースながら、サガン鳥栖の守護神・高嵜理貴の好セーブ連発で0-0でレッズから貴重な勝点1。

鹿島アントラーズ・セレッソ大阪ともグループリーグを戦い、0勝4敗2分と1勝もする事はできませんでした。
しかし、当時は鳥栖のクラブが存続しているという事実だけでも嬉しかったものです。


1997年のJFLを16チーム中11位で終えたサガン鳥栖。(この年はコンサドーレ札幌が昇格)
これまでとはうって変って上位争いを演じる事は無くなりました。
たしかにテレビで観ていた鳥栖フューチャーズの頃のような盛り上がりはなくなってしまったと思います。
しかし、自分自身実際にスタジアムに足を運ぶようになり、クラブが一から再建している、今がクラブの歴史を創り始めている段階なんだと感じました。


1998年のJFLでは16チーム中8位。そして翌年1999年、サガン鳥栖は無事にJリーグ ディビジョン2(J2)に参入する事ができました。
鳥栖フューチャーズ解散から考えると、よくぞJ2に生き残ったと思います。


当時のJ2。俗に言われるJ2オリジナル10ですね。

コンサドーレ札幌
ベガルタ仙台
モンテディオ山形
大宮アルディージャ
FC東京
川崎フロンターレ
ヴァンフォーレ甲府
アルビレックス新潟
サガン鳥栖
大分トリニータ


この頃には社会人になっていた自分。川崎に住んでいたので、川崎フロンターレ戦や大宮アルディージャ戦など初めてのアウェイ戦も経験しました。


ここからサガン鳥栖の苦難の歴史が続く訳ですが、ここから先はいろいろテレビで特集されるといいな…今回自分が語るのはここまで。



鳥栖フューチャーズからサガン鳥栖へ。
ひとつ言えるのは、勝ち続ける事だけでサポーターが得られるものではないという事。
今回サガン鳥栖が16試合負けなしという快進撃もあって昇格目前という事もあり、たしかに実力も大事だと思います。
実力があるクラブを目指すのもプロなので当然ですが、これからサガン鳥栖がクラブとしてしっかりと存続するためには、これからもサポーターと向き合う愛されるクラブをさらに目指してほしいです。けして無理な補強でチームを壊す事のないよう。


J1昇格目前で若干サポーターの方が浮かれ気味で、自分も先週末の徳島ヴォルティス戦の勝利から嬉しい気持ちが持続しています。
しかし、選手の方は最終節ロアッソ熊本戦を前にしても、インタビューで「最後まで気を抜かない」と、サポーター以上に厳しい意気込みが伝わってきました。
松本育夫さんが育て、厳しい時代のサガン鳥栖で現役だったユン・ジョンファン監督や高嵜理貴GKコーチもいるサガン鳥栖だから、きっと大丈夫だと思います。

J1昇格はもう目の前。


そして、2011年12月3日へつづく

鳥栖フューチャーズ消滅。サガン鳥栖誕生。|日々邁進 (via kizaki)

Notes

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